社員の為に・我が子の為にの思いから『勉強』をはじめた。合格したのは年齢も『40代』を過ぎていた。

40代での勉強が大変になる理由
40代での勉強が大変になる理由

社員の為に・わが子の為に『勉強』した『40代』

私が社会に出たのは、好景気にわいていた時代である。その意味では現代の若者に比べ非常にラッキーな時代であったと思う。
それにもかかわらず私は非常に臆病で、小心翼々として、社会になかなかなじめなかった。20代の頃、親父に夜間大学まで生かせてもらったものの、他の兄弟に申し訳なさと、コンプレックスから昼間は少しは働こうと面接に行ったものの、臆病から中々採用まではいかなかった。そんな私も大学を出て何をしたいという気持ちも起きず、ただ小学校時代の恩師が私を認めてくれたという思いから漠然と教師になりたいと思ったものである。
しかしなりたいという気持ちだけで、なれるわけでなく、2〜3の会社を転職をし、定年まで勤めた会社に入社をした。
この会社は、創業者がいろいろと悩みを持って創業した会社だけに、会社の利益よりも社員を大切にする会社であった。給料は少なかったが、仕事はどんどん与えてくれて、まことに快適な会社であった。当社は経理で入社したため、簿記の『勉強』をはじめ、2級の資格を取得した。まもなく九州の事務の責任者となり転勤となりました。その事務所では九州全域の体育館の床針の工事をするのであるが、業務上の事故が頻発したものである。私はその度に本社に電話をする一方、事故処理に追われることになった。私が九州より本社に戻るとき、結婚が決まりかけ、大阪への転勤を申し出た。もう年齢も35歳になっていた。
大阪での勤務は、労務であった。それからの私は、九州の経験を胸に社員の為にの思いで一生懸命に仕事をした。仕事を覚える過程で、社会保険労務士の『勉強』をすることにした。
行政書士の資格があれば会社の判は不要というので、行政書士の資格を取得した。その年に子供が生まれ、子供の為にさらに懸命に勉強をしたが、毎年・毎年不合格であった。もう年齢も『40代』を過ぎていたが、とうとう9回目にして社会保険労務士の試験に合格をした。時に44歳であった。